旧同盟領における秩序の混乱は、意外な方向に波及した。この際、帝国軍の全能力を上げて、旧同盟領に徹底的な支配体制を築き上げ、さらにはイゼルローン要塞に拠る共和主義者たちが独立の地歩を保っていなかったら、ハイネセンにおいて動乱が発生しえたかどうか、と言うのがその主張の根拠であった。
「向日葵は、常に太陽を仰ぐ。この場合、旧同盟領の共和主義者たちが向日葵で、イゼルローンが太陽であることを、吾々は認めざるをえなかった。そして、その認識が直線となって伸びる所、イゼルローンを撃つべし、という声が沸き起こるに至った」
(解説)
帝国側では、ロイエンタールの叛逆にしろ、旧同盟領による叛乱にせよ、イゼルローンに共和主義者の巣窟があるからだ、という議論になっていた。叛乱が向日葵であって、イゼルローンが太陽。太陽を無くしてしまえば、向日葵が太陽を向くことがないという理屈である。
生物学上の話として、向日葵が太陽に合わせて向きを変えるのは、花が動いているのではなく、向日葵の茎にあるオーキシンと言う成長ホルモンが関係しており、オーキシンは光が当たらない側に多く集まり、濃度が濃くなると茎が伸長成長する。そのため、太陽の光が当たらない側の茎は、当たっている側の茎より伸びやすく、光が当たっていない側の茎が伸長するために、向日葵の花は太陽のある方角へ曲がる。太陽に向かって花の向きを変えることで、成長期の向日葵は葉に効率よく太陽の光を浴びて栄養分を作ることができる。完全に花が開いてしまえば、動かなくなる。つまり、太陽の方向を向くのは、向日葵が若く成長が盛んなときだけである。
人間も似たようなもので、成長しているときには、目標に向かおうとする。その目標は、ときには人であったりもすれば、具体的な〇〇をしたい、と言う願望であるときもある。その目標がなくなったときは、成長が止まってしまう。もうこれ以上成長しなくていいという気持ちを持つようになったら、向日葵が太陽の方を向かなくなるのと同じようになってしまう。逆に言えば、具体的な目標を持ち続けるうちは、人間はいつまでも成長していられるのだ。大人になったら、身長が伸びないというように(体重は増えるが・・・)、物理的な成長は止まる。しかしメンタルの成長を止めるのは、自分次第である。太陽とは自然にあるものではない、我々個人が作り出す目標のことである。
(教訓)
〇目標があれば成長する。成長しているうちは目標に向かって動く。
〇目標無くして成長はなし。成長を止めるも進めるも自分次第。目標とは太陽のように既にあるわけではない。心の中で作るものだ。