宇宙艦隊司令長官ミッターマイヤーがミュラーの発言を支持した。
「ラッツェル大佐とやらが正しいように思われる。皇帝陛下の威信は、まず恥知らずの密告者どもを処断することによってこそ守られよう。ヤン・ウェンリーの行動が、密告者どもの無法に対する正当防衛であるとすれば、情状を十分に組むべきだろう」
「レンネンカンプ提督に対して、いささか酷な発言のようだ」
彼自身の策謀や打算を分子ほども表さず、オーベルシュタインが応じた。
「国家の安全のため、彼はヤン・ウェンリーを後日の禍にならぬように除こうとしたのだ。已むをえざる謀略とは釈れぬかな」
「謀略によって国が立つか!」
刺激されたミッターマイヤーが、全身を使って怒鳴った。
「信義によってこそ国は立つ。少なくとも、そう思考するのでなければ、何をもって兵士や民衆に新王朝の存立する意義を説くのか。敵ながらヤン・ウェンリーは名将と呼ぶに値する。それを礼節をもって偶せず、密告と謀略をもって除くなど、後世にどう弁解するつもりだ」
(解説)
ミッターマイヤーのような人物がリーダーになってくれたら、この世は安泰なのだ。しかし何故にして政治にしても何にしても、心の穢れた守銭奴がリーダーになってしまうのであろうか。
権力欲は誰しも少しは持っているとは思うが、権力によってブイブイ言わせたいという俗物的な感覚がないと、実際に権力を得ようという行動を起こすだけのインセンティブもないだろう。普通の人は、普通に生きていければいいと思うだけでしかない。
「信義によって国は立つ」。会社組織も「信義によって」立ってこそ、色々な人から愛されるブランドに育つに違いない。しかし、現実的には、密告と謀略で、権力は阻まれる。その権力を得られるのも信義ではなくて、密告と謀略でしかない。リーダーになるためには、他の権力を欲するものの粗を探して、密告する。そんなことはメディアでよく出てくる。
会社組織も、オーナー兼リーダーはさておき、出世してリーダーの椅子に座った者の中で、どれくらいの者が、密告や謀略を無縁であったろうか。そんな奴がリーダーになるのだから、その会社の内外においても、信義なんてものはあったものではない。それが経済の一面を作っているという現実があるのだ。
(教訓)
〇組織は信義によって立たなければならない。