「一つお願いがあります」
「言ってみたまえ」
「この作戦案は、グリーンヒル閣下のご発案ということにしていただけませんか」
「しかしそれでは、君が作戦立案に果たした役割を無視することになる。軍としての筋が通せなくなるぞ」
「いえ、私の作戦案だということがわかると、各部隊があまり真面目に動いてくれないでしょう。参謀省閣下のご指示ということであれば、きちんと動くでしょうから」
(解説)
実際に誰が考えたかという以上に、誰が発信したかの方が重要である。一流スポーツ選手が書籍を書いているが、本人にインタビューぐらいはしているが、実際はゴーストライターが書いていたりする。でもそのゴーストライターの名前で書籍を発売しても、大して売れやしない。
上記でもヤンが考えたというよりは、グリーンヒル大将が考えたという事にした方が、兵士はしっかりと動く。内容は同じでも、誰が、というのが重要。間抜けな話だ。要するにその受け手にそれだけの判断能力がないのである。その発言について、素晴らしいとか、自分で考える能力がない。だから、それなりの人の発言であれば、それが素晴らしいとか、そんなバカげたことが起きる。
判断能力のない一般人に対して、モノを売るには、そのブランド力をいかに高めるか、ということを常に考えていかなければならない。最初は苦しいが、認知が進めば慣れてくる。それまでの我慢だと思えばよい。
社内でも似たようなことはある。一般スタッフの発案というよりは、ある部署の課長なりの発案としておき、社内に浸透し、上手くいってから、実はあの発案は、誰々のものだ、と言っておけばよい。周知されてからでも遅くはない。
まずは効果的に組織を動かすことの方が先決である。上司の手柄にしておく、というのも部下にとっては、出世戦略の一つにもなる。もっともその上司がその組織において勝ち馬であればだが。
(教訓)
〇マーケティング手段として、知名度を大いに活用せよ。
〇作戦立案において、上司に手柄を立てさせ、部下が引き上げてもらうのも一種の処世術である。