「運命と言うならまだしもだが、宿命というのは、実に嫌な言葉だね。二重の意味で人間を侮辱している。一つには、状況を分析する思考を停止させ、もう一つには、人間の自由意思を価値の低いものとみなしてしまう。宿命の対決なんてないんだよ、ユリアン、どんな状況の中にあっても結局は当人が選択したことだ」
ヤンは、自分の選択を「宿命」という便利な言葉で正当化したくなかったのだ。自分が絶対的に正しいのだと思ったことはヤンは一度もない。いつも、もっと正しい未知があるのではないか、と思い続けてきた・・・彼を信頼してくれる人、彼を非難する人は多く存在したが、彼に代わって考えてくれる人はいなかった。だからヤンは、自分の才能と器量の範囲内で考え、思い悩まなくてはならなかったのだ。「宿命」と言って済ませられるなら、そうした方がずっと楽だった。だがヤンは間違うにしても自分の責任で間違いたかったのだ。
(解説)
ラインハルトとの決戦を前に、ヤンとユリアンが話している。宿命と言う言葉は、ドラマや小説では格好いい言葉である。しかし現実的には、自分には何の選択権もないことを意味していることになる。
ヤンの言う通り、運命論の帰結は、状況分析思考の停止、人間の自由意思等意味もない、ということになる。何やってもダメだ、となれば何もやらない方がいいことになる。努力をしても、神様とやらがサイコロを振ってその結果にしかならないとすれば、自分のやっていることは全て無意味だからだ。今、ここに至るまで、我々はどれだけ多くのことを取捨選択して来ただろう。今とは、過去の自分がしてきたいくつかの選択の結果でしかないのである。
だから、過去に意味を持たせる意味でも、過去を大切にするためにも、今を真剣に生きるしかないのである。当然、過去、ああしておけばよかった、と言う後悔だらけではある。そのときに自分としては最善の選択をしてきたと思ってきたが、当然、自分が絶対的に正しいなんて確信はない。確信があったとしても、結果うまくいくとは限らない。
何でもかんでもどうすればいいかを他人に聞くやつがいるが、そういう奴は得てして、失敗したら、それをアドバイスした他人のせいにしかしない。誰も、自分の代わりに意思決定をしてくれる人はいない。それ故、自分の才能と器量の範囲内で、考え切るしかない。そして、その結果、間違ったとしても、他人からのアドバイスで間違えるのではなく、自分のした選択によって間違えたから、良しと思う気持ちが大切だ。それがいつしかプラスの自分を作り上げる。例え失敗したとしても、その時の意思決定は、今の自分の礎に確実になっているのだから。
(教訓)
〇過去の意思決定の積み重ねが、今の自分を作り上げているにすぎない。
〇自分に責任を課して意思決定をしておけば、それが必ず自分の礎になる。