織田信長に学ぶ、
信長が比叡山に布陣している朝倉・浅井軍と対峙していたとき、信長の本陣に、信長の弟信興の戦死の報が届けられた。その信興を襲ったのが長嶋の一揆勢であった。
1571年の第一次長島攻めでは、砦を攻撃することができず、一騎から逆に攻撃を受ける状態であり、退却を命令。退却時の殿を勤めた氏家直元が討たれた。
朝倉・浅井を滅ぼした後、1573年に第二次長島攻めを敢行する。しかし今回も煮え湯を飲まされ、撤退する。林通政が討たれる。
1574年に第三次長島攻めが敢行された。7~8万の兵と海と陸からの総動員であった。まず陸から攻める三部隊が兵を進め、賀鳥口の部隊が松之木の対岸の守備を固めていた一揆勢を一蹴した。次に九鬼嘉隆の安宅船を先頭とした大船団が到着し、一揆を攻め立てた。海陸、東西南北四方からの織田軍の猛攻を受けた諸砦は次々と落とされ、一揆衆は長島・屋長島・中江・篠橋・大鳥居の5つの城に逃げ込んだ。そうして、最終的には兵糧攻めにする。
兵糧攻めに耐えきれなくなった長島城の者たちは、降伏を申し出たが、信長は鉄砲で攻撃、双方とも多くの犠牲者が出た。信長は、残る屋長島・中江の2城は幾重にも柵で囲み、火攻めにした。城中の2万の男女が焼け死んだという。同日、信長は岐阜に向け帰陣した。
(解説)
多くの犠牲を払いながらも、信長の執念の勝利であった。三度にわたって、壮絶な地獄絵図が繰り広げられたに違いない。それが兵糧攻めに耐えられなくなったものを射殺したり、火攻めにして2万人を焼き殺すという所業だったのだ。
ビジネス社会ではこういった殺戮は起こりえないだろうが、リーダーたるもの、成功するまで執念を持つ大切さを教えてくれている。
そしてまるで手抜きをしない。成功には犠牲はつきものである。ただビジネス上の犠牲は、お金と時間だけにとどめたいものだ。そしてそこから最低でも何か得ることを見つけよう。諦めなければ何かが起こる。
[教訓]
〇成功するまで執念を燃やせ。
〇絶対に成功するまで手抜きをするな。油断するな、貫徹せよ。