織田信長に学ぶ、
「恃(たの)むところにある者は、恃むもののために滅びる。」
(解説)
人や物に頼ってしまうと、頼った人や物のためにかえってピンチになるという意味である。人に頼るなと言っているのではなく、だからと言って安心しきるなと言うことだ。
芸能人の闇営業問題なんて、まさにこの例だろう。事務所経由の仕事だけでは足りないと言って、出向いて行ったら反社だったと。しかも一度の付き合いだけで今までの経歴を棒に振ってしまう。芸能人という人もうらやむ人生の光からまさに闇に真っ逆さま。人に頼ってしまって、頼った人のためにかえってピンチになってしまった。
光が強ければ強いほど、また闇も強くなる、とはよく言ったものだ。こういうときには永遠に普通の人の方がまだラクである。世間的なエリート街道まっしぐらで、息子が社会的によろしくないことをしたら、エリートの親が責任を取らされる。難しいことだが、心のどこかで理不尽を感じざるを得ない。
ベンチャー企業の旗手と言われ、メディアで持ち上げられてしまったばかりに、会社を潰すのがかっこ悪くなり、資金調達を繰り返した結果、踏み外してしまって、出資してもらった(あるいは融資してもらった)人が、実は反社だった、というようなこともある。一歩間違えると、そこからダークサイドへ落ちてしまう。
あるいは次の企業の成功も期待され、虚偽の決算書で銀行から融資を受け(こういう場合には詐取と言われる)、塀の中に入ってしまうのも、ダークサイドの一つの形だ。塀の中から出てきても活躍している人もいるが、大半は社会的に浮上できなくなってしまう。そうして、きれいな経歴の人の裏に隠れて暗躍する。付き合う相手がダークサイドばかりだから(当然、そういう人からお金を借りていれば付きまとわれる)、闇と光の隙間の住人となってしまう。
元々は闇と光は一つの渾沌であり、それが両極端に分かれた陰と陽である。闇は光を欲し、また光も闇を欲するのであろうか。輝きすぎるのも、人生踏み外しそうだから、程よい光が一番良いのだろう。
ここまで極端な話ばかりでもなくて、ある人に金を借りたら、別にその「ある人」は反社ではないのだが、「あの時金を貸してやっただろ」と付きまとわれ、たった一度の恩で寄生虫のように絡んできた奴もいたとか。それで自分の会社も資金繰りがピンチになってしまったこともあったと聞いている。隙を見せて付け込まれる。まさに、君主危うきには近寄らず、といったところだ。
[教訓]
〇起業家は危うきには近寄るな。
〇苦しいときに無理して見栄を張るな。