織田信長に学ぶ、
足利義昭は征夷大将軍に任命され、皇都に居住することとなった。将軍義昭の意向で観世大夫に能を演じるように命じた。能の番組は脇能の弓八幡他で、目録には十三番の演目が書かれていた。信長は目録を見て、「まだ近隣諸国を平定しなければならないので、戦いが終わったわけではない」と、言って、五番に縮めさせた。
(解説)
義昭が京都へ到着し、これをみて三好三人衆の勢力は後退。さらに1568年9月30日に病気を患っていた14代将軍足利義栄も死去。同年10月18日に朝廷から将軍宣下を受けて、義昭は第15代将軍に就任した。
信長はまだ戦いが終わっていないから、全部演じなくてよいといって、13の演目を5番に縮めさせた。近隣諸国を平定してから、全13演目を見るべきと考えたのであろう。また、義昭は信長を副将軍または管領職に任命しようとしたのだが、これも固辞。もう一つ、能の演目で「道成寺」の中で、信長に鼓を打つよう所望したが、これもまた辞退。まさに欲しがりません勝つまではの心境だ。
足利義昭にとっては、征夷大将軍に任命されれば目標は達成されたのだが、信長の野望は全国統一にあった。上洛はスタート地点に過ぎないのである。ただ、副将軍の地位を欲しなかったのは、どちらかというと、室町幕府の職に就いて、将軍の制約を受けるつもりなど全くないということだったのだろう。
起業後は、売上を確保するために、当面、今までに属していた会社から仕事を受託することはあり得る。安定的な売り上げを確保しているうちに、次の売上の確保のため、営業をかける。しかし業務受託は、信長の言うところの室町幕府の職に就くこととあまり大差はない。要するに時間売りをしているだけだ。
業務受託のいいところは、時間売りをすることで、確実に売り上げを確保できることだが、会社に頭が上がらないし、そもそも本当に独立したうちに入らない。心身ともに独立と言えるためには、直接顧客相手の商売をすべきだろう。いわゆるB2Cと言う奴だ。B2Bのうちは、どうしても企業に対して頭が上がらない。顧客に対して頭が上がらない方がなんぼかましだ。数が多ければ、誰かは頭が上がらなくない顧客もいるものだ。顧客を数多く幅広く獲得しておかないと、値下げ圧力との恐怖と常に戦い続けることになる。もちろん差別化が乏しく、競合相手の多いマーケットへの参入も考え物だ。従い、本当の独立とは、価格の決定に主導権を握れる状態を言うのだと思う。そういう意味ではB2Bであっても問題はなくなる。
[教訓]
〇欲しがりません勝つまではの精神で、目標を達成せよ。
〇起業家たるは業務受託に依存し、時間売りをするな。起業した意味が乏しくなる。
〇時間売りはサラリーマンと大差ない。
〇本当の独立は価格において主導権を握れる状態を言う。