「世界の海援隊でもやりますかな」
(解説)
1865年5月に、幕府機関である神戸海軍操練所の解散に伴い。薩摩藩や商人の援助を得て長崎に亀山社中が結成された。目的は貿易を行って、薩長の手を握らせることにあった。そのため、龍馬はグラバー商会等と取引し、武器や軍艦等の兵器を薩摩藩名義で購入、長州へ渡す等の斡旋を行って、薩摩の西郷隆盛、長州の木戸孝允を代表とする薩長同盟の締結に大きな役割を果たした。
1867年4月に坂本龍馬の脱藩が許されて隊長となり、土佐藩に付属する外郭機関として、海援隊と改称された。一部土佐藩、薩摩藩の援助を受けたものの、基本的には独立しており、、近代的な株式会社に類似した組織、商社活動としても評価されている。運輸、開拓、本藩の応援、射利、投機、教育(修行科目 政法・火技・航海・汽機・語学等)等、隊の自活運営、政治・商事活動を行った。
最終的に、龍馬が暗殺されたのち求心力を失い、藩命によって解散させられるが、土佐藩士の後藤象二郎が海援隊を土佐商会として、その後、岩崎弥太郎が九十九商会・三菱商会・郵便汽船三菱会社(後の日本郵船株式会社)・三菱商事などに発展させた。
海援隊は岩崎弥太郎の手によって、世界へと羽ばたいたが、元々の意思は龍馬が持っていたと思われる。日本はマーケットが縮小することもあり、最初は日本のマーケットで仕事を熟成させて、いずれ世界を目指したいものだ。
閉塞感は国内マーケットに集中することから起きる。当然、最初は国内マーケットで経営基盤を作ることが必要だが、自分も含め、スタッフのモチベーションを維持・発展させるためには、よりビジネスを大きくしていくという、会社の方針は不可欠なのではないだろうか。一番わかりやすいのは世界を目指すということだろう。
[教訓]
〇起業家ならば、世界を目指せ。