無忌は兵王に言った。「伍奢(伍子胥の父)に子が二人ありまして、どちらも賢うございます。殺さなければ、やがて楚の禍になりましょう。父親を人質として、この二人を召されるのがよろしく、さもなければ、そのうち楚の患いとなります。」
王は、使いをやり、「来るならば、お前たちの父を生かしてくれよう。来ないなら、すぐにも殺してしまおう」と言わせた。
尚(伍子胥の兄)がこれに応じていこうとすると、員(伍子胥)は言った。「楚が我ら兄弟を召し寄せるのは、わが父を活かそうがためではない。我らのうち逃げる者があれば、後になって禍の起こるのを恐れ、父を人質としていつわり召すのである。二人が行けば、父子ともどもに殺され、父の命には、何の足しにもなるまい。行けば、仇を報いられぬようにされるだけのこと、いっそ他国に逃れ、その力を借りて、父の恥をすすぐ方がましだ。共々に亡びては、しようがあるまい。」
伍子胥が奢の招きに応じ、父と共に死んだとすれば、何の螻・蟻と異なる所があろう。さればこそ、小義理を捨てて大恥辱をそそぎ、なお後世に残した。
(解説)
伍子胥は父を見捨てて、父と兄は殺された。息子二人が楚の王のところに赴いていたら、全員が殺されていただろう。このようなわかるようなときはいいのだ。兄も父を見捨てていけないという気持ちがあったが、恐らく殺されるであろうことは十分に予想していた。
さて、これがわからないときはどうするか。潰れそうな会社があって、自分が経営者であったから、従業員を守るということが美伝に聞こえるが、もちろん最初に逃げれば卑怯者ではあるが、無理に存続させることがいいとも限らない。ここは全員に頭を下げて、さっさと会社をたたんで、次の事業に取り掛かった方が良いこともある。コロナショックを思えば、会社を辞める勇気も必要だとも思える。先も見えれば頑張れるが、先が見えなければ頑張りようがない。今まで、頑張ってきたが、コロナを理由にやめられば、仕方がないと言ってくれる人も多かろう。普通の経済状況で破綻すれば、色々な人から責められまくるが、債権者もコロナが怖くて、責めにきたくもないぞと。
結局伍子胥は呉の軍師として、楚を撃ち、親の仇を取る。そのときに既に親の仇であった汪は墓の中であったため、墓を掘り出して、死体にムチをうったという。
結局、自分の目標を達成するためには、小さな義理は捨て去り、大きな恥辱を注いで、次のビジネスで成功させ、また一緒に働きたい人はぜひ、という方がよかろう。もちろんそのまま消えてしまう人の方が多いのだろうが。
[教訓]
〇小さな義理にはこだわるな。大きな恥辱を注いでも、最後に復活すればよい。まさにビジネスにおいても勝てば官軍である。最後に勝った者が勝者なのだ。