礼は人によって起こるものである。人は生まれて欲があり、欲するところが得られなければ、これを求めようとする。求めて限度がなければ、おのずから争いとなり、争えば必ず乱れる。先王はその乱を憎むため、礼儀を定めて人の欲を養い、人の求めに応じ、欲が物に窮まらず、物が欲につきないよう、二つが相まって長ずるようにしたのである。これが礼の起源である。それゆえ礼とは養(欲望を節度があり限度がある様に養う)ということである。
(解説)
礼なんて高等教育が終わったら身について会社に来るのが当然だ、なんて思ったら甘いのだ。学校からしてみれば、礼は家庭で教えるもの。家庭からしてみれば、礼は学校で教えるもの。あるいは生活していくうちに勝手に身につくんじゃないの、くらいな感覚だが、それはあきらめて、入社後、会社でしっかりと礼儀について教え込むしかないような気がする。もちろん面接のときに礼が身についているかいないかはよくわかる。
そもそもいい大人でも「礼」を知らないのではと思う人が少なくないし、ニュースも賑わせている。それに全員に対して、礼を尽くしていては、正直身も持たないということもあろう。必要最低限で礼を尽くさなければならない人に対してだけで十分だ。
上記にある通り、欲望が礼を邪魔することが多い。人を騙して平気な奴、詐欺師、あるいは不届きな経営者(一般的ではない)は、自分の欲望が第一で、人の事なんて全く考えていない。こういう奴らは平気で約束を破る。守らない。少なからず、約束を守らない奴は挨拶ができたところで、「礼」を知らない奴と言ってよいであろう。余裕がなくて礼をなくしてしまう人もいるのではないかと思う。
人間なんだから、誰しも欲望があって当然だ。しかし、それがどこまで行っても欲が満たされない状態というのは、社会的に生きていくうえで不都合でしかない。自分の思い通りになんてなるわけがない。どこかでなんらかを我慢しなければいけない。欲望を上手くコントロールできるようにすることが、「礼」を尽くすための第一歩となる。
本来こんなことは、自分で身に着けておくべきものなのだが、家庭環境等で欲望の管理をできないまま社会人になってしまう者が増えている。お客様商売なら、なおさら、礼が必要である。会社に損害にならないためにも、会社で教育をしていくしかないのが現状なのだ。
[教訓]
〇「礼」は欲望のコントロールによって身につくこと。
〇「礼」は、社会人になる前に身に着けておくべきことだが、会社で教えるしかないと割り切ろう。