公子は朱亥に同行を請うた。朱亥は笑って言った。「私は市井で刀を鳴らし、家畜を屠るしかない身ですのに、公子には、自ら、しばしば安否をお問い下さいました。お礼を申さなかったのは、些細な儀礼等、無用なことだと思ったからです。今や、公子は危急の難に面しておられます。今こそ私が命をささげる時でしょう。」
趙の孝成王は、公子が、偽って晋鄙の軍を奪い、趙を安泰にしたことを説くとして、平原君と相談し、封邑五城を行使に与えようとした。公子は、これを聞くと驕慢の心が興り、自ら功を誇る気色が見えた。賓客の一人が公子に行った。「物事には忘れてはならないことと、忘れてはならないことがあります。人が公子に賭けた恩義は公子としては忘れてはならないことであります。公子が人に施した恩義は、公子の方で忘れられる方が良いのです。」
(解説)
信陵君は、東周戦国時代の魏の公子、三代昭王の末子である。第一段落は朱亥が信陵君に対していった台詞である。お礼を言われたくて、何か他人にしてあげることは、あまりないと思われる。仮にお礼をしてほしいということであれば、お客と業者と言う関係でしかない。
常に交換条件と考えていたらきりがないのだ。あの時は自分が何かしてあげたから、今度は自分に何かしてくれ、というのであれば、最初から顧客と業者の関係にしておいた方がスッキリする。大物にとっては、些細な礼などいらないものだ。あの時のお返しをしろと考えただけで、小心者のそしりを免れない。
礼とは積み重ねであり、受けた方はどこかで覚えているもの。いざというときに恩義を返してくれる、それは期待するものではないが、恩を仇で返す様な奴は所詮そんな奴と思って縁を切ればいい。
後段は信陵君も人の子と言った一面があった。つまり恩義を対価で返してもらいたくなった。そのときに賓客から注意されている。これは我々の人間関係にも言えることだ、「こちらが施した恩義は忘れろ、こちらが受けた恩義は忘れるな」。これを忘れない限り、良い人間関係が生まれる。そういえば、あの時世話したな、と言うのは案外覚えていないものだ。覚えているうちは単なる小心者でしかない。
[教訓]
〇人から受けた恩義は忘れるな。但し、人に対して施した恩義はサッサと忘れてしまえ。