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目立たない人物ほど偉大な人物

傅寛:魏の五大夫の騎将として魏咎に従ったが、後に劉邦に仕えてその舎人となった。劉邦に従って転戦し、秦将の趙賁の軍を開封で、おなじく秦将の楊熊の軍を曲遇・陽武で破るなどの功績を挙げ、卿の爵を与えられた。

劉邦が漢王となると封ぜられて共徳君と号し、また右騎将となった。その後も三秦平定などで活躍し、通徳侯に封じられた。

漢王朝成立後は、斉王・韓信の右丞相となった。恵帝の5年(紀元前190年)に卒し、景侯と諡された。

靳歙:沛公が立って漢王となると、靳歙は建武候を賜うた。うつって騎都尉となり、漢王に従って三秦を平定した。

遷って車騎将軍となり・・・上に従って黥布を撃って戦功があり、・・・高后の五年に卒して、粛候と諡された。

周緤:舎人として沛公に従い、覇上に行き、さらに西の方蜀漢に入り、引き返して三振を平定し、食邑として池陽を与えられた。上は周緤を信武候とした。周緤は天寿をもって没し、貞候と諡された。

高祖に従って山東から起こり、項籍を攻め、名将を誅し、敵軍を破り、敵城を下したこと数十回に及ぶが未だかつて窮地に陥らず、・・・これもまた天の賜物である。

(解説)
傅寛、靳歙、周緤とも、あまり逸話の残っていない人物である。周緤だけは劉邦が親征するときに涙を垂れて止めたという話が残っている。しかし、結構すごいことをやっている。それでいい役職について、天寿を全うしている。こんなに順風満帆な武将たちも少ないであろう。

もの凄い人は、もちろん歴史に名を残すが、むしろ当たり前すぎて名を残さない人もいるのだと思う。野球でいう所の本当の守備の名手は、あまりファインプレーをして目立たないというものだ。

だいたい打者には癖があるから、確率的に多くの打球が概ね決まったところに飛びやすいという。そのため、守備の名手は投球や打者の構えに応じて、守備位置を変えるものだ。もちろん中には、ピッチャーだって失投だってあるし、予想外のところに飛ぶこともある。ファインプレーが多い選手は要するに目立ちたがり屋だと言ってもいい。それはエラーとも裏腹になる。

だから本当にすごい人は、なるべくリスクのない方法を取る。目立たないかもしれないが、損失もない。損失がなければ利益が多いから、結果として得をしている可能性の方が高い。

[教訓]
〇目立たないほど実はすごい人物である。
〇超ファインプレーはエラーと裏腹。ハイリスク・ハイリターン。

この記事を書いた人
経営学博士。経営学は座学より実学をモットーに大学院在学時より、サラリーマンで修業。一部上場企業の財務、メガバンクでの不良債権処理、 上場支援、上場後の投資家向け広報、M&A、事業承継等を経験。 数千の経営者と身近に接することが多く、数多くの成功例や失敗例を見てきた。 一人でも多くの成功者を輩出することが自らの天職と考え、現在は独立し、起業家に対して、ファイナンスやマネジメントまわりのサポートを行っている。 起業家モチベーター。
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