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遺志を継ぐ者を育てよ

「諸侯はみな秦に背いて自立した。斉の建国は古く、儋は田氏の一族だから、斉に王たるべき者である」と。

田栄は自立して王となり、・・・斉王田栄の軍は平原に敗走し、栄は平原の民に殺された。項王はついに斉の城郭を焼き払い、通過した地方の者を悉く屠殺したので、斉の国人はあいまって項王に背いた。栄の弟横は、散乱した斉兵を取りまとめ、項羽を城陽で反撃した。・・・田横は再び斉の城邑を手に入れることができ。田栄の子広を立てて斉王とし、自ら宰相となって国政をもっぱらにした。田横が斉を平定してから三年の後、漢王は麗生を斉王広と宰相横の下に遣わし、降伏するよう説得させた。横は、それをもっともに思い、軍を解散させた。

高祖は、(田横らが)いま海中の島にいて、このまま帰順させなければ、ゆくゆくは乱を起こすかもしれないと。そこで使者をやって田横の罪を許し、召し寄せようとした。・・・(田横は)自ら首をはね、賓客に首を報じて、使者と共に高帝に奏上させた。田横を葬り終えると、に客は墓の傍らに穴を掘り、二人とも主君に殉じ、自ら首をはねて穴の中に身を埋めた。高帝はこれをきいて大いに驚き、田横の客はみな賢士であると察し、横の部下はなお五百人海島にいると聞いているとて、使者をやって彼らを召さした。彼らが到着して、田横の士を聞くと、皆また自殺した。田横兄弟が誠に良く部下たる人材を得ていたことを知るのである。

(解説)
第一段目は田儋は県令を撃ち殺し、斉王となったときの言葉である。この時代に本当に田氏の一族だったと確認するような登記制度はなかろう。まさに言った者勝ちである。リーダーになるには根拠はいらない。後付けでもいい、適当でもいい、理由がありさえすればいい。確かに、名前が同じと言うのも立派な理由と言えよう。何の縁もゆかりもないかもしれないが、周囲が思い込んでくれればそれでよい。

田栄は田儋の従弟で、田横は田栄の弟である。田横は自らの手柄を横に置き、兄の子を王とするのだから、まさに仁義の人と言えよう。そして、部下思いでもある。劉邦の強さを知り、戦っては部下を死なすだけとして、自らは降伏し、軍を解散させてしまう。その後、島に逃げて行ってしまった。

最終的には、劉邦の臣下にはなれないと、自ら首をはね、さらにその首を持って言った賓客は自らも命を落とし、田横を追って行く。さらに島に田横と共に逃げて行った者共も、田横が死んだためにそれを追って死んでいった。どこまでも愛されたリーダーだったのだろう。

今の世の中、尊敬する経営者を追って死ぬまではする必要はないが、その経営者の遺志を継いで、経営を行うという部下がいる会社は強い。別に経営者と同じやり方を城と言うわけではない。時代と共に変わらなければならないことがある。しかし変えてはならないこともある。

[教訓]
〇経営者は自らの遺志を継ぐ者を育てよ。
〇時代と共に変わらなければならぬこと、変えてはならぬことをきちんと分けたうえで、変えてはならぬことを部下に伝えるのが経営者の役目である。

この記事を書いた人
経営学博士。経営学は座学より実学をモットーに大学院在学時より、サラリーマンで修業。一部上場企業の財務、メガバンクでの不良債権処理、 上場支援、上場後の投資家向け広報、M&A、事業承継等を経験。 数千の経営者と身近に接することが多く、数多くの成功例や失敗例を見てきた。 一人でも多くの成功者を輩出することが自らの天職と考え、現在は独立し、起業家に対して、ファイナンスやマネジメントまわりのサポートを行っている。 起業家モチベーター。
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