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機転が経営の窮地を救う

項羽は戯下におり、沛公(劉邦)を攻めようとしていた。沛公は百余騎を従え、項伯の手引きで直接項羽に会い、羽の入関を拒むため函谷関を閉じた事実のないことを陳弁した。項羽が軍士を饗応して、酒たけなわな頃、范増は沛公を殺そうと企み、項荘に命じて宴席で剣舞を舞わせ、沛公を撃とうとした。項伯は終始肩をもって沛公をかばった。そのとき沛公はただ張良と二人だけ宴席に就くことができ、樊噲は陣営の外にいたが、事の急を聞きつけ鉄の盾を引っ提げて陣営に入った。衛兵が制止したが、樊噲は強引に押し入って帳の下に立った。項羽は目を止めて誰かと問うた。張良が「沛公の陪乗で樊噲と申す者です」と言うと、項羽は、「荘士である」と、樊噲に一巵の酒と豚の肩肉を賜うた。樊噲は酒を飲みほし、剣を抜いて肉を切り、皆食べた。

項羽が「まだ飲めるか」と言ったので、樊噲が言った。「私は死をもいとうものではありません。何と酒ごときを辞退しましょうや。それはともあれ、沛公は真っ先に武関に入って咸陽を平定し、軍を覇上にさらしながら大王をお待ちしていたのです。しかるに、大王には今日やっと到着され、小人ばらの言葉を聞いて、沛公と仲たがいのようですが、私はこのために天下の人心が離れ大王を疑うようになるのではないかと思います。」

沛公は厠にたち、樊噲を差し招いてその場を去った。・・・そして張良には項羽に陳謝するように言いつけておいた。そのため項羽もついに思いとどまり、沛公を殺す心がなくなった。

(解説)
項伯は項羽の叔父である。劉邦が咸陽に入り、秦王子嬰を降伏させて間もなく、項羽が函谷関を破り、関中に入ると両者の間に対立が生じた。そして項羽の腹心の部下の范増は劉邦の殺害を項羽に進言する。項羽は劉邦への攻撃を決断する。

項伯は旧友張良と相談の上、劉邦に、項羽へ謝りに行かせた。この会合を鴻門の会といったが、范増は項荘に、剣舞を舞わせて、どさくさに紛れて劉邦を殺そうとしたが、樊噲と張良、そして項伯の機転で、劉邦は救われた。この時の功績で、劉邦が天下を取った後で射陽侯に封じられた。

部下たちのおぜん立てと機転によって、劉邦は救われた。問題があると思ったら謝罪に行くのも良い、そして部下が代わりに謝ることがあっても良いのだろう。このような部下を持つと経営者は非常に楽ができる。

また、項伯のように義を尽くせば、どこかでリターンを得ることができるという好例である。

[教訓]
〇部下は経営者のおぜん立てをせよ。
〇機転こそが窮地を救う。

この記事を書いた人
経営学博士。経営学は座学より実学をモットーに大学院在学時より、サラリーマンで修業。一部上場企業の財務、メガバンクでの不良債権処理、 上場支援、上場後の投資家向け広報、M&A、事業承継等を経験。 数千の経営者と身近に接することが多く、数多くの成功例や失敗例を見てきた。 一人でも多くの成功者を輩出することが自らの天職と考え、現在は独立し、起業家に対して、ファイナンスやマネジメントまわりのサポートを行っている。 起業家モチベーター。
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