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自ら力を持つか、もっと権力に取り入れ

申屠丞相嘉は、人柄が廉直で、裏口からの内々の請託を受け付けなかった。・・・太中大夫鄧通は、男色をもって文帝の寵愛を受け、賞賜の品は巨万を重ねた。あるとき嘉が参内すると、通は主上の傍らにいて、臣下の例を尽くさず無作法に振る舞った。丞相は事を奏上しえから、その機会に主上に言った。・・・嘉は檄を作って鄧通を丞相府に召喚した。来ないので斬罪にすることにした。通は文帝にその由を現状すると、文帝は「ただ行けばよい。わしは人をやってお前を呼び返そう」と言った。

通は頓首叩頭のあまり、頭部一面に出家牛らが、それでも嘉の怒りは解けなかった。文帝は上昇が既に通を十分懲らしめたころあいを見計らい。・・・丞相には「通はわしが玩弄する臣である。許してやってほしい」と断った。

錯が内吏となり、帝に尊愛されて政治を自由にし、帝に請うて法令を変更したところが多かった。錯は内吏となってから家の門が東に向き合って不便なため、さらに一門を開けて南から出入りした。南から出ると太上皇の廟所の外垣であった。嘉はこれを聞くと、これを幸いに錯を罪にしようと、「ほしいままに宋廟の垣を開けて門を作った」として、錯の誅殺を奏請しようとした。景帝が言った。「策が開けた垣は秦の廟垣ではなくて外垣であり、その中は元冗官のいた所である。・・・」

嘉は「先に錯を斬らないで、まず奏請したため、・・・口惜しい」と言い、感謝に帰ってから、これが元で血を吐いて死んだ。

(解説)
嘉はすごく生真面目な人だったのだろう。一見そういう人はこのような仕事には向いていない。ストレスが溜まって嫌になるだけだ。結局世の中は、いかに権力に従うかしかない。それが嫌なら自ら権力を握るしかない。

前段も後段も、結局はルールを適用としたけれど、最大のルールである時の権力者(皇帝)によって、ひん曲げられてしまっただけなのだ。これだとズルをする人は、いかに時の権力者に取り入られるかで決まってしまう。何だか嫌になるがこれが社会だとあきらめるのも一つ。正義なんてのはこの世にはないのだ。正義を決めるのもまた、時の権力者である。

[教訓]
〇世渡り上手になるためには、自ら権力者になるか、権力に取り入れ。
〇時の権力のやることなすことには「目をつぶり」「耳を閉ざし」「口をつぐめ」。本意ではないけれども、それも世渡り上手な生き方だ。

この記事を書いた人
経営学博士。経営学は座学より実学をモットーに大学院在学時より、サラリーマンで修業。一部上場企業の財務、メガバンクでの不良債権処理、 上場支援、上場後の投資家向け広報、M&A、事業承継等を経験。 数千の経営者と身近に接することが多く、数多くの成功例や失敗例を見てきた。 一人でも多くの成功者を輩出することが自らの天職と考え、現在は独立し、起業家に対して、ファイナンスやマネジメントまわりのサポートを行っている。 起業家モチベーター。
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