主上(劉邦)は、韓王信が才能あり武勇あり、またその王たる地が北は鞏・洛に誓う、南は宛・葉に迫り、東に淮陽(河南)を控え、いずれも皆天下の強兵のいる所であるのを考え、詔を下して韓王信を太原(山西)の王に移し、北の胡の匈奴に備えて晋陽(山西・太原)に都させた。信は上書きしていった。「我が国は辺境に取り囲まれ、しばしば匈奴が侵入します。晋陽は辺塞を去ること遠く不便ですから、治所を馬邑(山西・朔県)に置かせていただきたい。」
主上はこれを許した。秋、匈奴の冒頓単于が大挙して信を包囲した。信はしばしば胡に使者をやって和解を求めた。漢は兵を派遣して信を救援したが、度々密使をやったことから、信に二心があるのではないかと疑い、使いをやって信を問責した。信は誅せられるのを恐れ、匈奴と約束して共に漢を攻めることとし、漢に背いた馬邑もろとも胡に投降し、太原を撃った。
(解説)
韓王信と淮陰候韓信は別人である。さて、韓王信は195cmと図体はでかいがかなり小心者であった。そこで周りには強敵に囲まれ、そして匈奴の冒頓単于に攻め込まれて、休戦のために交渉人を送っていたが、それを漢は裏切り行為だと見て、やむなく韓王信は漢に背いて、匈奴と共に漢を敵に回してしまった。
まず、このような小心者をその土地に封じてしまったのも問題であるが、劉邦が疑ってかかったのも問題である。
経営者は、任せたら、信用しきるべし。そして、一度の過ちは常に赦すべし。もっとも韓王信は裏切ろうとしたわけではないのだが、強敵に囲まれ、命に危険を感じたから、やむなく匈奴と手を組まざるを得なくなったわけだから、元々は劉邦側に非があるともいる。仮に本当に敵に通じているとしても、一度の過ちは許してやるくらいの肝っ玉の大きさが必要だ。そうすれば、漢王信のような人材も決して裏切ることはなくなる。但し二度目はないと思えで十分だろう。
逆に、韓王信側では裏切る気がないのだから、その密使が何のために送ったかをきちんと説明すべきであったと言える。
現代社会では民主主義国家で商売している限りは、そんなにポンポン殺されることはないだろうが、上司と部下の信頼のために、密に連絡を取り合うことが重要と言える。昔と異なり、今では通信手段がしっかりしているわけだから、意図を伝えるのは容易なはずだ。
[教訓]
〇上司と部下が信用しあっていれば、無用な争い(コスト)は生じない。
〇厳罰は避けよ。部下の一度の過ちは経営者ならば許してやれ。