漢王は薛公を引見して問うと、薛公が答えた。
「(黥)布が背いたのは怪しむに足りません。布の方で上策に出るなら、山東は漢の領有ではなくなるでしょう。もし中策に出るなら、勝敗は未知数であろうし、下策に出るなら、陛下は枕を高くして安臥することができましょう。」
「どうするのを上策と言うか。」
「東して呉を取り・・・」
「彼はどの策に出ようとするだろうか。」
「下策に出ましょう。」
「どうして上策・中策をして、下策に出ると判断するのか。」
「布はもと驪山の一味徒党であります。自力で万乗の人主になりましたが、全ては我が身のためにしたことであって、後々の人民万世のためのことを考えてのことではありません。だから下策に出るだろうと申したのであります。」
(解説)
黥布(英布)は元は項羽の下で、秦の滅亡に活躍したが、後に項羽と対立し、劉邦の配下として参加した。劉邦が皇帝となったときに、淮南王となる。韓信や彭越が反乱を企てたとの名目で処刑されたため、黥布が自分への誅殺を恐れ、反乱の準備を整えた。最終的には、鄱陽で地元民に殺害される。
黥布が反乱を企てた原因を作ったのは劉邦(漢王)ではあるが、どのように対処すればよいかを薛公に問うと、黥布は下策にしか出ないと、その理由は、わが身のためにしただけで、人民のためのことを考えている人物ではないという理由からであった。
つまるところ、上策を取る人物は、人民のことを考え、下策を取る人物は我が身のことしか考えていないということだ。自己保身しか考えていない奴は、下策しか取れない。経営者は少なくともそうであってはならないと思うのである。
[教訓]
〇自己保身しか考えていない奴は、結局下策しか思いつかない。だから天下は取れない。