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成功のために、王道と覇道のバランスを取れ

その頃、神農氏が天下を治めていたが、世と共に徳が薄れ、諸侯は、互いに攻め合って百姓は困窮した。しかし神農氏は、これを鎮めることができなかったので、軒轅は、干戈の術を修練し、神農氏に入朝しない諸侯を討伐した。それで諸侯は、またみな神農氏の下にきて命令に従うようになった。ただ、そのうち蚩尤が、最も凶暴で、なかなか討伐できなかった。そのとき炎帝の子孫が、また諸侯を侵したので、諸侯はみな軒轅を頼りにして、そのもとに集まった。そこで軒轅は徳を治め、兵を調え、五気(木・火・土・金・水の5つの気)を治め、五穀(黍・稷・菽・麦・稲)を植え、万民を撫しみ、四方を安んじ、熊や羆や貔・貅・貙虎等の猛獣を訓練して戦いを教え、炎帝と阪泉の野に戦い、三度戦って、ついに勝つことができた。このとき蚩尤がまた乱をおこし、命令を聞かなかったので、皇帝は諸侯の兵を募り、蚩尤と涿鹿の野に戦い、ついに蚩尤を虜にして殺した。このため諸侯は、みな軒轅を尊んで天師と仰いだので、神農氏に代わって位に着いた。これが黄帝である。

(解説)
黄帝の姓は公孫、名を軒轅といった。神話伝説上では、三皇の治世を継ぎ、中国を統治した五帝の最初の帝であるとされる(紀元前2510年~紀元前2448年)。干戈の術とは、楯と鉾のことであるから、兵器一般の活用法のことである。最初は覇道で力づくで討伐したが、次は徳を治め、兵を整備し、五気を治め、農業を推進し、万人を優しく扱うなどして、後に戦い勝った。これは王道を基本としつつ、覇道も用いた。さらに蚩尤が暴れたので再び覇道を用いた。王道と覇道をバランスよく活用すればリーダーになれるという礼だ。

徳の経営といったところで、聞こえは善いのだが、善人ばかりの世の中ではないため、きれいごとで済まされないことも多い。リーダーが一生懸命恩を尽くしても、仇で返してくる奴というものは一定層いるものだ。あるいは実力が期待以下の場合はまだしも、やればできるのに手を抜くケースもないとは言えない。そんな時には強権発動の覇道モードもやむなしである。常に強権発動だと発動してる方も疲れて来るが、受け手のスタッフにとっても居心地が悪くなる。そのため、王道と覇道をバランスよく、経営に取り入れたいものである。当然、ベースは王道と言いたいところだが。

[教訓]
〇王道と覇道をバランスよく活用すればリーダーになれる。

この記事を書いた人
経営学博士。経営学は座学より実学をモットーに大学院在学時より、サラリーマンで修業。一部上場企業の財務、メガバンクでの不良債権処理、 上場支援、上場後の投資家向け広報、M&A、事業承継等を経験。 数千の経営者と身近に接することが多く、数多くの成功例や失敗例を見てきた。 一人でも多くの成功者を輩出することが自らの天職と考え、現在は独立し、起業家に対して、ファイナンスやマネジメントまわりのサポートを行っている。 起業家モチベーター。
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